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事務局長より~日日新(PROGRESS)~

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日日新Vol.R4-1
白河学園で出会った子どもたち(part5) 

 よかったねH君

 H君の手術が無事に終わった。前々回に書いた白河学園を離れ、医療施設に入所している小学生の男の子のことだ。手術は3時間を超え、数日間は職員が付き添った。それにしても現代の医療と子どもの回復力は素晴らしく、僅か1週間で学校に復帰することができた。リハビリも頑張っていて、年末年始は白河学園で楽しく過ごすこともできた。
 施設には同じ病気の子ども達がいて、良くなって出ていく子を見送り、新たに入ってくる子を迎えることもあるのだろう。限られた期間であるが故、自分の周りの変化や人との出会いを強く感じているのではないのだろうか。

 この時期になると平家物語の冒頭が頭に浮かんでくる。試験のため必死に暗記したのがこの頃だったのだろうか。それとも、冬枯れて色の消えた世界に虚しさを感じているからなのか。折しも、大河ドラマは平家が滅び鎌倉幕府が誕生する過程を描いている。
 このありふれた日常がいつまでも続いて行くことをぼんやりと願い、沸き出る悩みに終わりはないのかと天を仰ぐ自分がいる。これらすべてのものは常に変化し、やがて消えていくものなのだろう。法人も事業所も然り、であるならば諸行無常という現実を受け止め、今という瞬間を大切にしていく、その連続を未来というのだろうか。

 そういった変化や流れの中で児童養護施設には、ケアニーズの高い子どもが多く入ってくるようになっている。職員もその対応に苦慮しているのが現実だ。空を見ながら、子どもが抱える課題をどこから見たらよいのか考えることがある。
 コペルニクスが「地動説」と唱えるまでは、地球を中心に太陽や惑星が回る「天動説」が信じられていた。そこからカントの言う「コペルニクス的回転」が生まれた。子どもの様々な困った行動を見ている時、ふと、それを思い出す。そして、見えていることに依存している自分がいて、困った行動をしているのは自分ではないかと疑ってみたりもしている。
 決して自らに問題を置いているわけではないが、子どもに対する認識は自分の知識や経験で得た認識能力の範囲内でしかないのであれば、別の可能性を忘れてはならないのではないのだろうか。もっともこれは、子どもに限ったことではないだろう。

 ありのままを受け止め、今という時間をひとつひとつ積み重ね、1年後にH君は戻ってくる。最初にかける言葉は何にしようか、今から考えている。

 雪の舞う鉛の空に日輪の浮かび来るとき生命思へり

 一本の向日葵の影またぎ跳び庭に埋め来し古き地図帳

法人事務局長 斑目 宏

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