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事務局長より~日日新(PROGRESS)~

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日日新Vol.R5-7
孤独な1週間

 令和5年5月8日をもって、新型コロナウイルス感染症の類型が5類に変更された。まだ2類相当だった2月下旬、同居する妻と娘がコロナに感染した。先ず妻が、翌々日に娘が発熱した。とりあえず、1階と2階に生活スペースを分け、私は発症の気配におびえつつ朝、昼、晩と検温をして無事を確かめていた。いつ飲めなくなるかわからないので日々の晩酌は欠かさず、酔いがまわればなんとなく不安も和らいで、明日の健やかな目覚めを願ってすみやかに眠りに就くのであった。結局、発熱も大した症状もなく病院に行くことはなかったが、ふたりに症状が出るまでは無防備でいたので、少なからず我が体内に奴らが入ってきたのは確かだろう。感染はしたけれど症状が出なかったのか、ウイルスは入ったけど発症しなかったのかはわからないが、何事もなく済んだのは幸いだった。仕事を休み外出も控えいわば孤独な1週間であったが、日々の掃除、洗濯、炊事等普段やらないことをして意外と新鮮な時間でもあった。

 ひとつ屋根の下に暮らしていながら離れて過ごすというのは、ことのほか孤独を感じるものである。酒を飲み始めるまですることがないので、暮れゆく空を窓越しに眺め自分の孤独感について考えていた。孤独を寂しいと思う反面、年齢を重ねるごとにしがらみのない自由の方を優先し、自分主導で生きることを選んできた気がする。仕事から一歩退いて、社会からいろいろなことが免責されているとも感じている。この先、孤独は自分を見つめなおす機会として、人生のひとつの選択肢となり得るのかもしれない。

 一方、孤立は自分の意に反して一人ぼっちで助けが得られない別の状況と言える。そういう状況による望まない孤独も同じだ。虐待を受けている子ども、家庭を離れ施設で暮らす子ども、社会で暮らす施設退所者、地域の弧育てや貧困、ヤングケアラー、これらは常に身近な問題である。国は子どもの問題に対して待ちの支援から予防的な支援を強化する方針を示した。子どもの問題に限らず、我が法人として何ができるのか、何をしなければならないのか、この身近な孤立や孤独に対して考えなければならない時がきているのだろう。

 妻も娘もすっかり回復し元の生活に戻った。私はというと相変わらずいつものようにいつもの窓から空を眺めている。隣の屋根低く一番星が輝き始めた。豆腐なんぞで一杯やろうかと思いつつ、この際、覚えた家事をルーティーンに加えようかと考えている。この先我が家で孤立しないように、そして、もしもの時に困らないように。

参観日だれも来ぬ子と帰りゆくあおばかり咲く紫陽花のみち

                法人事務局長 斑目 宏
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