事務局長より~日日新(PROGRESS)~
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日日新Vol.R2-5
令和2年度はいつもと違った緊張感の中でのスタートとなった。新型コロナウイルス感染症の拡大により、学校の休校や外出の自粛、行事の中止や延期、衛生用品の不足など先行きの見えない不安を拭うことができないでいるからだ。
思い起こせば9年前の4月も不安の中にいた。東日本大震災の傷跡が癒えず原発事故の終息が見えない中で、子どもたちや職員の安全と生活をいかにして守るか苦悩していた。
この時のキーワードは「絆」であった。人と人が手をつなぎ、助け合うことの大切さを知った。日本に止まらず多くの方々から支援をいただいた。
今回はどうだろう。人が集まり手をつなぐことを避け、離れることが求められている。この事態をどのような言葉で表せばよいのだろう。
震災では多くの人が亡くなった。いまだに行方不明の方もたくさんいる。新型コロナウイルス感染症でも亡くなる人が増えてきている。先日は国民的な著名人も命を落とした。遺骸に取りすがって泣くことはおろか、間近でのお別れすら叶わなかったと家族が話していた。この感染症はひどく残酷であまりにも切ない。
ところで、白河学園では今年度の中長期目標に「2040年を展望した法人運営」、「人材の確保・定着・育成」、「ガバナンスの強化」を掲げた。
社会構造の変化に伴い福祉ニーズの多様化・複雑化が進み、生産年齢人口の減少が深刻化する中、公的制度では支援できない狭間にある社会的ニーズを、包括的に解決していくことが社会福祉法人には求められている。
そういった社会の要請にこたえるには、職員一人ひとりのワーク・ライフバランスを実現し、社会的役割を明確にしていくこと、安定的・継続的な法人運営を図るための体制を整備することが必要であると考えている。社会福祉法人の制度改革がいよいよ具現化されてくるのである。
法人の運営する児童養護施設では、今年度3つ目の地域小規模児童養護施設を開設した。本体施設の3寮もすべて小規模グループケアである。期せずして、大人数が一か所に集まる環境ではなくなった。それぞれの場で食事を作り、お風呂に入り、眠り、生活は完結する。子どもたちは職員との共同作業に目を輝かせ、未来を見つめている。私たちは、子どもたちが安心し身をゆだねられる大人として、社会福祉や社会保障の支え手となる子どもたちを責任もって養育しなければならない。
目に見えないウイルスは人が宿主になっている。それ故、人が人を恐れみんなが疑心暗鬼になっていく。ウイルスは単体では生存できないが、人も一人では生きていけない。人はつながりが失われることで生活の質が低下し、生命のリスクも高まる。自立とはだれにも頼らないことではなく、頼れる先をたくさん持つことなのかもしれない。
この国難に対して政府や医療任せではなく、誰もが役割を持ち、お互いが存在を認め合い、支えあうこと、「縦割り」、「支え手」、「受け手」といった属性を超えて、「我が事」としていく「地域共生社会」の考え方を持つことが大切なのだろう。「一人ひとりの自覚と我慢」、「離れていてもつながろう。」今、必要なのはこの言葉かもしれない。
思い起こせば9年前の4月も不安の中にいた。東日本大震災の傷跡が癒えず原発事故の終息が見えない中で、子どもたちや職員の安全と生活をいかにして守るか苦悩していた。
この時のキーワードは「絆」であった。人と人が手をつなぎ、助け合うことの大切さを知った。日本に止まらず多くの方々から支援をいただいた。
今回はどうだろう。人が集まり手をつなぐことを避け、離れることが求められている。この事態をどのような言葉で表せばよいのだろう。
震災では多くの人が亡くなった。いまだに行方不明の方もたくさんいる。新型コロナウイルス感染症でも亡くなる人が増えてきている。先日は国民的な著名人も命を落とした。遺骸に取りすがって泣くことはおろか、間近でのお別れすら叶わなかったと家族が話していた。この感染症はひどく残酷であまりにも切ない。
ところで、白河学園では今年度の中長期目標に「2040年を展望した法人運営」、「人材の確保・定着・育成」、「ガバナンスの強化」を掲げた。
社会構造の変化に伴い福祉ニーズの多様化・複雑化が進み、生産年齢人口の減少が深刻化する中、公的制度では支援できない狭間にある社会的ニーズを、包括的に解決していくことが社会福祉法人には求められている。
そういった社会の要請にこたえるには、職員一人ひとりのワーク・ライフバランスを実現し、社会的役割を明確にしていくこと、安定的・継続的な法人運営を図るための体制を整備することが必要であると考えている。社会福祉法人の制度改革がいよいよ具現化されてくるのである。
法人の運営する児童養護施設では、今年度3つ目の地域小規模児童養護施設を開設した。本体施設の3寮もすべて小規模グループケアである。期せずして、大人数が一か所に集まる環境ではなくなった。それぞれの場で食事を作り、お風呂に入り、眠り、生活は完結する。子どもたちは職員との共同作業に目を輝かせ、未来を見つめている。私たちは、子どもたちが安心し身をゆだねられる大人として、社会福祉や社会保障の支え手となる子どもたちを責任もって養育しなければならない。
目に見えないウイルスは人が宿主になっている。それ故、人が人を恐れみんなが疑心暗鬼になっていく。ウイルスは単体では生存できないが、人も一人では生きていけない。人はつながりが失われることで生活の質が低下し、生命のリスクも高まる。自立とはだれにも頼らないことではなく、頼れる先をたくさん持つことなのかもしれない。
この国難に対して政府や医療任せではなく、誰もが役割を持ち、お互いが存在を認め合い、支えあうこと、「縦割り」、「支え手」、「受け手」といった属性を超えて、「我が事」としていく「地域共生社会」の考え方を持つことが大切なのだろう。「一人ひとりの自覚と我慢」、「離れていてもつながろう。」今、必要なのはこの言葉かもしれない。
法人事務局長 斑目 宏