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事務局長より~日日新(PROGRESS)~

冬のたんぽぽ

 
「先生、おうちへ帰るの?」
「そう、これから帰るところ」
「おうちに誰かいるの?」
「奥さんと子ども」
「おうちはどこ?」
「郡山だよ」
「わたしのおうちはどこにあるのかな?」
「・・・」
「がくえんだよね。先生さよなら」
 走り出した車のミラーに映る子どもの姿。やがて小さく、西日の中に眩しく紛れて。ああ、鼻の奥がツーンと切ない。
 
 秋の終わり、いや、冬の初めの頃だったか、あたりはすっかり暮れて。退勤のため車に乗ろうとすると、幼児寮の窓に顔を近づけ手をふる女の子がいた。何かを言っているのだが口元のガラスが曇って良く解らない。そこで、私も大きく手をふり投げキッスを返した。車に乗り込み見上げると女の子の姿はすでになく、曇った窓には小さなハートマークが描かれていた。青く冴えた月がこうこうと屋根を照らしている。ハートから一筋涙が流れた。
 
 空いっぱいに蜻蛉が浮かぶ秋晴れの日曜日。女の子が面会の母親を待っていた。約束の時間を過ぎてもなかなか現れない。虚しい時間だけが過ぎて、いつしか彼女は施設の門の前に立っていた。日が傾き、空気も冷えて女の子と門の影が長々と伸びている。空から降りてきた蜻蛉が女の子の肩にとまり、翅を輝かせている。私は掛ける言葉が見つけられず、黙ってその影に加わった。鳥の一群がねぐらを目指して過ぎていく。わずかに暮れ残る紫の空。只々寂しく並ぶ三つの影は、色あせながら絶望の闇へと紛れていく。
 
 万引きをした子を引き受けての帰り道。冬の日差しが柔らかに降り注ぎ、黙して歩く二人の影は時折重なり、また離れて行く。澄んだ青空に飛行機雲が一本鮮やかに伸びている。雪虫だろうか、小さな虫がひとつのかたまりになって浮かんでいる。少年は小石を蹴って、何かを言いたそうに私を見た。虫たちは一瞬ほどけて、また一つのかたまりに戻る。少年の唇がかすかに動く。枯草ばかりの土手に冬のたんぽぽが静かに微笑んでいた。
 
法人事務局長 斑目 宏

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